hibinote

日々のこと、感じたことをかいています。2019~2023インド⇒2023.7~現在日本にいます

「きらい」という気持ち

昔のインドを再現した博物館へ行きました



「きらい」という感情について考えていました

 

「きらい」という感情に「いい」も「わるい」もない

 

 

私たちは「きらい」になることを 怖れている気がしたんです

 

 

自分の容姿、

例えば「ああ、もっと目が大きかったら」

「もっと肌がきれいだったら」

 

 

自分のくせや思考パターン

「人に厳しくあたっちゃう」などなど

 

 

でも

自分の中に「きらい」があることを

「受け入れる」

 

「いい/わるい」でラベルを貼る前に

 

 

 

自分の中の「きらい」を受け入れると

 

次第に周りにいた、

あったように思っていた「きらい」な人やことが

 

軽くなって、次第に消えていきます

 

たとえば、

 

にんじんが「きらい」だとして、

そのにんじんがきらいということに

別にいいも悪いもない。

 

ただ「きらい」

 

まったく食べられないけど、見るのはいい

 

細かく切って料理に使われていればいい、

 

その感覚は千差万別です。

 

「にんじんがきらいで、そんな私ひどい・・」

「どうにかして好きにならなきゃ」

「にんじんが嫌いな私・・落ち込んじゃう」

「にんじんが憎くて仕方がない」

 

という人はあまりいないと思います。

 

ただ「きらい」

 

それと同じで

自分のなかに沸き起こった「きらい」も

ただ受け入れて

 

にんじんと同じくらいのレベルで

軽く感じてみると

 

身体に起こっていた嫌悪感が消えていきます

 

自分の中に「きらい」なところがあっても

 

それを受け入れる

「いいじゃん、それで」って

 

そうすると「きらい」と感じる後ろに

 

温かく見てくれている存在に気づきます