hibinote

日々のこと、感じたことをかいています。2019~2023インド⇒2023.7~現在日本にいます

Make up my mind

 

どう感じたいかは

私が決める

 

感情が動くことがあったら

 

ちょっと時間を取って

 

 

経験したことを

受け入れる

 

 

そして

そのあとで

 

 

気分が少しでも

ほっとすることを

やってみる

 

 

意識がまだ起きていない未来にいって

不安になった

 

まずは不安になることを

オッケイ!!

 

 

悲しい気持ちを感じて涙が出たら

そのままに!

 

 

感じていいって

 

決める

 

こわがらずに

 

モヤモヤの後ろに

必ず本音があるよ

 

 

起きてきた気持ちは

正直に受け取って

本音を聞いて

 

 

 

そのあと浮かんできた

やりたいことを

できることをやってみる

 

 

なんでもいい

そこは十人十色

 

 

絵を描いたり、

コーヒー飲んだり、

音楽聞いたり、

ヨガしたり...

 

 

感情ってそのとき

見てあげると

呼吸と共に流れていく感じがします

 

すってー

はいてー

 

 

 

 

 

 

yogaはわたしの拡がりをかんじること

 

わたしの本音を聞いた

 

本音って

 

 

大人げない

 

 

子どもっぽい

 

ことが多い

 

 

それを見るのに

 

抵抗が起きているのを感じるけど

 

聞いてあげる

 

なにを思ってもいいんだよ

 

 

 

そしてできることから

 

やってみる

 

 

他人に期待しちゃうのって

 

自分の本音が見えていないから

 

自分を承認できていないから

 

他人に求めちゃうんだよね

 

その子どもみたいな

 

わたしの本音

 

 

聞いてみよう

 

 

 

今日の朝はヨガのクラス

 

 

先生と私だけだから、

 

毎回のんびりしている

 

今日は始めに昨日あった出来事を

 

先生に話した。

 

 

周りとうまく話せなかった事とか・・

 

先生と話していたら

 

私が人に期待しすぎていたことに気づいたよ

 

そんなしてお喋りした後、

 

ヨガを開始。

 

 

先生は

「I'm hungry・・」

 

と言って、私がスーリヤナマスカーラ(ヨガのポーズに入る前にする太陽礼拝)

をしている間に

 

隣の小店でお茶と、菓子パンを買ってきた

 

 

アーサナを始めようとしたら、

 

mariも飲んで!

 

と誘ってくれた。

 

 

でも「ヨガの後で飲みます」

 

と言ったら

 

「温かいうちに!」

 

と先生。

 

 

お茶休憩がスタート

 

こういう感じが好き

 

 

ヨガをしている間はお茶飲んじゃいけないよね、

 

ヨガしている人は添加物たっぷりな菓子パンはNGだよね

 

 

そんな思考を大きく気持ちよく裏切ってくれる

 

インドにはそういう先生が多い

 

 

 

私がアーサナをしているとき、

 

指導しながら

 

蚊取りバットで

 

私に集まる蚊を退治し続けてくれた 笑

 

どんなことがあっても

 

最後に座って目を閉じて

 

瞑想をして終わると

 

気持ちがいい

 

 

 

最後に先生はお土産に菓子パンを持たせてくれた

 

 

やさしい視点

 
 
人はみんな無条件の愛を感じたい。
 
 
本来の自由な自分を感じられるから。
 

でも人はその愛が自分の内にすでにあることを忘れてしまう。
 
 
 
だってこの目に映る全てが美しいから。魅力的だから。
 
 
 
目に映る対象が全てだと、
私を幸せにするものなんだって思い込む。
 
 
 
 
だから、その無条件の愛を人に状況に投影する。
○○からもっと認めてもらいたい、
○○からなんでも許してもらいたい。
○○から許されることで私は幸せを感じる。
 
 
 
私が存在することに条件を付けたり、誰かからの承認を求めてしまう。
 
 
 
私を許す。
 
という態度の裏に、相手に対しては
「あなたは我慢してよね。私はこんなに忙しいんだから」
 
 
そんな隠された言葉を見つけ、私は「忙しい」「私は大変」と自分を被害者意識で見ていることに気づいたよ。
 
 
 
「忙しい」「大変」そうなんだね。
 
その本当の気持ちを聞いてあげる。
 
 
 
 
そうして、休みたい?どうしたい?って私に聞いてみる。
 
 
 
 
無条件の愛は私の中にあるって忘れちゃうことがあるから
 
 
 
だからわたしにとってこうやって書いたり、人と話したり、静かに瞑想したりする時間が大切なんだ。
 
 
 
 
目に映るものが美しく感じるとき、本来の私と同調しているから
美しいと感じるんだよ。そこが無条件の愛の場所
 
 
 
大きな意識からの、やさしい視点にとどまってみる。
 
 
そこから世界を私を見るんだよ。
 

信じることの意味

 

朝瞑想のあとぼーっとしていると

 

なにかを信じなくてもいいんだよ

 

って言葉が入ってきた

 

その「○○を信じる」という言葉が

 

気になっていた

 

神様を信じる

 

自分を信じる

 

これらの言葉になにかしっくりこなかった

 

そうして「信じる」を英語にしてみたとき

 

なにかを感じてネットで語源を調べたら

 

believe

 

be 在ることを

lieve 受け入れる

 

という内容だった

 

believe

 

信じるって

 

在ることを受け入れる

 

なんだか愛しい言葉だ

 

だから「信じる」に「○○を」はいらない

 

ただ在ることを受け入れる

それで充分じゃないか

と思った

 

この 在ることを受け入れる

ここから始まっていく

 

上の写真は、

スーパーへ行ったらレジのお兄さんが

おもちゃのカメラで遊んでて

どんなおもちゃなの?

と聞いたら

嬉しそうに見せてくれた

中を覗くと動物が見えて

シャッターを押す度に

写真が変わっていく

 

おもしろいねー

と2人で笑った

 

 

 

 

ここに来た理由

 

 

 

だれかを信じる前に

 

習慣や情報を信じる前に

 

 

わたしの感覚を信じる

 

 

わたしが何を選択して

 

それによって何が起こっても

 

 

それでよかったんだって信じる

 

 

そう決める

 

 

これは本当に大切なことだよ

 

 

 

最近思うのが

 

わたしがこの地球に来た理由は

 

 

息を吸うこと

 

 

風を感じること

 

 

太陽の光がさすきれいな葉っぱの緑色を

見ること

 

 

ただそれがしたかったからなんだって思う

 

 

その上で経験することは人生に深みを与えるかもしれないけど

 

 

この息を吸ったり

外を散歩するときに感じる

 

 

あ~ しあわせだな~って

 

 

それがすべてだなあ

って思うのです

 

 

 

 

 

私が思うことは

 

私から起こるどんな思考も想いも否定せずにあるがままに受け入れれば、私との信頼が生まれる。

 

 

思考や想いには理由がないことも多い。

 

 

 

こんなこと思っちゃだめ!

 

こんなことできるわけがない!

 

こんなこと思ったらバチが当たる!

 

バチなんて当たらないよ。

 

 

 

 

 

 

いつも見張って責めるのは誰でもない

「私」なんだ..

 

 

もっと気楽に生きて

 

 

そんなことできる訳がない

 

と思ったその声を

 

言っている自分に気づく視点

 

それが優しい「わたし」の視点

 

 

 

 

 

 

理解する必要があるのは

大きな望みも

 

日常の小さな望みから

 

幸せな気持ちは心地いい

 

嫌な気持ちは

 

望みを知る鍵になる

 

嫌の後ろに何がある?

 

本当はどういうのがいいの?

 

それが分かったら

 

嫌なことをずーっと

握りしめなくてもいいよね

 

 

本当にいろんなことがあるから

 

それによって感情は動く

 

穏やかでいられないこともある

 

 

無理して前向きになる必要はないし

 

 

そのときの自分の状態を

受け入れて

理解して

 

わたしを理解する

 

それだけ!

 

 

ゆったり過ごしてたらいいよ

 

 

何をしていても

何をしていなくても

 

心の中は安心してくつろいでいられる

 

そんなわたしでいたい✴️