hibinote

日々のこと、感じたことをかいています。2019~2023インド⇒2023.7~現在日本にいます

「私は私が嫌い」からのはじまり

 

 

 

 

 

「自分を愛する」という言葉を聞くと

 

いつも思考が働く感覚があった

みぞおちのあたりに何か違和感みたいなのを感じていた

 

ある日ふと、今この「みぞおちの違和感」に向き合えるかもと思って

 

ノートに自分について思っている事、を正直に書こうと決めて

思うままに書いてみた

そうしたら・・・・

 

 

深いところで

私は私を嫌っていることに気づいた!

 

 

 

顔が嫌い、性格が嫌い、価値がない・・・etc

 

 

しかも大好きだと思ってやっていたことに対して、

評価をしていたり、

しかもその評価が低くって驚いた

 

 

「私は私を許します」

「何を感じても許します」って

書くんだけど、

 

どこかで

私の全てを許せる、

そんな世界があるのか・・?って

 

 

それを考えたら何だか途方もなくて、

砂漠にいるような

気の遠くなる感じだった

 

 

 

そんな出来事があって

「自分が嫌い」「許す」「愛する」

キーワードを腹のあたりに据えて

過ごしていた

 

 

 

ある日仕事でちょっとした雑用をしていて

 

 

A4サイズの紙を半分に折りながら

職場の人と

なんでもないことを

旅行のこととか、

おいしいお店の話とかしていたとき

 

違う感覚が入ってきたのがわかった

私を見ている感覚だった

 

 

 

私は私が嫌いだとか、

価値がないとか

私が私に対して何を思おうと

私は生きていて、

手が動いて紙を折って、

人と話している

 

 

 

私が私を好きか嫌いかなんか関係なく

息をして生きている

 

 

 

私が私を許す、

許さないに関係なく

すでに私は大きい何かに支えられている

 

 

 

そのことを感じて

一人、紙を折りながら感動した

 

 

何を思っていても、

どんな感情があっても

存在の本質は傷つかない

存在の本質はいつも変わらない

 

 

 

私が何を思っても、

そんなの一切スルーで

生きるエネルギーを送っている

 

 

 

存在の本質はいつでも、

わーーって

ただ満足し、よろこんでいる

 

 

 

すごいなあ

思っている事を

否定しなくていいし

否定する自分も否定しなくていい

 

 

 

だってもれなく

生きるエネルギーは

(愛というのか)

私たちが何を思おうと

いつだって

満足していて

よろこんでいる

そのエネルギーが体の中に満ちている

 

 

 

それに気づけたら

思い出せたなら

なんだかほっとする