hibinote

日々のこと、感じたことをかいています。2019~2023インド⇒2023.7~現在日本にいます

I am perfect being.

物事をどう見るかは自由

相手を非難して自分が苦しくなるくらいなら

 

相手の視点になって理解するか、

 

そんなもんふっとばすくらい高い視点に立ってみる

 

 

感情って「わたし」そのものじゃないから

だいじょうぶっ!

 

 

なによりも未完成な私を、今はこれで完璧と受け入れていく

 

 

受け入れるか抵抗するかも

全ては自分次第

 

 

~~~

今日はずっと行きたかったピザやさんへ行った。

そのレストランは食材は地元産とこだわっている人気店。

お店は賑わっていましたが、幸い並ばずに席につくことができました!

頼んだのはビーツのサラダとマルガリータピザ、レモネード。

肝心なピザは写真も忘れて食べてしまいました笑^^

写真よりもアツアツを食べないとっ!

ピザは生地がモチモチしてて、チーズもフレッシュでおいしかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

エンパスの境界線

仕事帰りに家に向かって歩いていたら、急に圧倒されるくらいの愛の(なんと表現したらいいのか)エネルギーを感じました。歩くのもゆっくりになるくらいでした。
 
 
そして「この大きなエネルギーを誰かと共有したい」みたいな外向きの献身的なエネルギーがでた次の瞬間、
 
 
「いや!まずは私。このエネルギーは私のもの」としたんです。そしてその圧倒されるくらいのエネルギーを一人感じていました。
 
 
そしたら目の前にいた、素敵な女性2人に駅までの道を尋ねられ、車通りが少ない裏道を教えることができました。
 
 
この流れが自然で、ひとり感動しました。
 
 
自分のエネルギーの流れを分かっていると、無理なく人と関われるんだと思えた経験でした。
 
 
そしてエンパスエンパワーメントを通して、自分のエネルギーの扱い方を日々確認しています。

体感は知識をこえる

 

 

結果のために

努力することは

結果にフォーカスしてるから今を味わうことは難しい

 

 

力まずに過程を楽しむ

やっていることを味わう

 

今に存在する

 

 

瞑想の先生が話していた

 

 

歩くとき

歩いている

その感覚を感じる

 

 

食べるとき

話すときも

 

 

「watcher」で在る

 

「見ている存在」

 

外側で起こることに

無意識に出来事に飲み込まれず

 

Don't be involved all of that.

 

飲み込まれても

それも受け入れる

 

受け入れた時点で

もうそれは

飲み込まれてないよ😌

 

写真はインドのアイスクリーム屋さん

夜9時過ぎだけど、次から次へとお客さん来る!!😲😲😲

みんな元気!!

 

 

 

 

 

 

 

 

エネルギーの流れ

 

 

今日、あることで腹が立った

 

モヤモヤして

 

そのときに

 

腹が立つな~

 

これ、誰かに話したい

 

って思ったけど

 

それって

ただ腹立ってる

そのエネルギーを拡げちゃうだけだよねって思った

 

誰かに話して笑って終わる、

では解決しなさそうな

重さの腹立ち具合だったから😂

 

 

そうして

まずその感情を感じてみた

 

言葉にすると

 

悔しい

憎しみ

 

そんな感情

 

そうしたらふっと

 

 

私は悔しさそのものではない

憎しみそのものではない

 

私はそれをやさしい眼差しで見ている存在なんだって自然に思い出した

 

私はいつでも安心の場所にいる存在

 

 

私はその場所から世界をみると決める!

 

 

悔しくて結構!!

憎い感情もあって大丈夫!!

 

 

 

そうしたら腹が立った出来事から

事象から離れた感じがした

 

 

そして

この悔しさを感じる感性、繊細さを

大事にしよっ😉

って感じが腹から聞こえた

 

そうして

 

 

選択する

 

 

腹が立ってた時は

その相手に

低いエネルギーが向かってたけど

 

それが消えて

 

ただ必要なことを伝えようという気持ちになれた

 

 

 

感じて

決めて

選択する

 

この流れだ👍️

エネルギーそのもの

 

 

人と話しているときに

 

少し薄い膜みたいなのを感じることがある

 

 

前はそれは緊張しているからとか

他人と距離を取ってるからだとか

思ったけど

 

 

それはぜんぜん問題なくて

 

 

ただそう感じたということ

 

自分の感情や表現にラベルをはらずにただ

そのままにしてみる

 

 

今日は代講で

日本人の子供たちの国語の授業

 

 

 

5年生のクラスで、3人の男の子がいた

 

途中まで仲良かった

そのなかの2人が

 

 

途中から、雰囲気が変化した

 

 

男の子がもう一人の子に

話しかけてるのに無視したり

 

 

彼の読み間違いを

違うよ!

○○だろ

強く否定したり

 

急にそうなったから

内心驚いた

 

 

今日の授業の内容が擬音語だったから

 

 

「教室の中の音を探してみよう」

と言ってみんなを立たせて自由にさせた

 

 

みんな教室にあるものをたたいて

 

「バンバン」

「カシャカシャ」

とか作ってた

 

 

また席に着かせると

 

 

2人はまた元の仲良しに戻っていた

 

 

そこで、どうしてあの時無視したの

 

としてしまうと、

 

そこからドラマが生まれてしまう

 

そう深く詮索せずに

 

ただそうなった

 

そうしてあげると

エネルギーの流れが流れた

 

それだけが残る

 

私自身についても

周りに対しても

 

流れるエネルギーで見てみよう

 

 

気持ちのほうは

 

気持ちのほうは

 

放っておいて

 

そのときやりたいやり方で行動する

 

 

気持ちは感じるんだけど

 

その気持ちの通りにふるまわなくてもいいよねって思う

 

 

 

昔から素敵だなって思う人って

 

 

誰とでも平らに接することができる人

 

 

そういう人を見ると

 

 

すごいなと思うと同時に

 

強く憧れる気持ちがあった

 

 

当時の私は

一緒にいて楽な人と

ものすごい緊張する人がいた

 

 

 

今日気づいたら

私、今 誰とでも平らに話せてるかもって

 

 

思った

 

 

自分の上にも下にも誰もおかない

 

 

そんな意識でずっとやってきて

でも、できなかったりしたこともあった

そして思い出して

 

 

こんなことをずっとやっている

心のなかで

 

そうして現実になると

わー♪

と思うんです

 

 

 

型を飲み込む

 

だれかと違うところ

 

ユニークなところ

 

そのオリジナリティって大切だと思う

 

日本語を教える、とき

 

日本語っていう

 

型がある

 

でも人によって教え方は違う

 

なにか型があるものって

 

 

前はそれに私を寄せていくイメージがあったんだけど、今はその型を飲み込んで出す!みたいな感覚がある

 

 

日々やっているヨガも体系だてられた、

大きいもののようにとらえていた

 

 

教えに忠実に、心は健やかに在る

 

 

みたいな

 

 

でもどうしても出ちゃう

私のオリジナリティ

 

 

心の平安を目指すイメージだったけど

 

 

もともと私は平安そのもの

と思ったら、ぶれる自分は人間らしいと思えるようになった

 

 

そうしてまた思い出す

 

 

私はいいひとになりたいわけでも

なにかの教えに忠実な人になりたいわけでもない

 

 

世の中を器用に生きられる人になりたいわけでもない

 

というか....

なれなかった...!😂

 

 

 

ただ私は私のオリジナリティ

私の本音に正直でありたい